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"Janji Joni"とIndonesian Indies(4)

2006. . 21
ダフィッド・タリガンの「発見」したジャカルタのシーン。おもしろい動きが出てきたのは2001年ごろからでしょうか。 勿論いくつかのバンドはバンドゥン同様90年代から活動していましたが、ある程度まとまった潮流になるのはこの時期だと思われます。

シーンが活性化するには場所、そして核になるバンド•ミュージシャンが不可欠です。場所については残念ながら判らないのですが、南ジャカルタBulunganのオープンステージは非常にクリエイティヴな活動が行われるスペースとして良く知られており、こうした場所から情報発信が行われていたのかもしれません。

ギターポップ系のバンドはバンドゥン同様幾つも現れ、2002年にMarmaladeレコーズからPopshowerと言う高水準のコンピレーションアルバムがリリースされています。

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    V.A. "Pop Shower" Quince QRCP-14
    INDIE POP NOODLEにも書かれているように日本盤もリリースされたジャカルタのギターポップバンドのオムニバス。参加バンドはSweaters、Showbiz、Blossom Diary、 Santa Monica, Montecarlo。超ウルトラ爽やかスーパー。 考えてみればミルトン・ナシメントばりのポップ・クレアティフや、L.C.L.R.の昔から爽やかポップは得意だったわけで、環境さえ整えばこういうのが出てくるのは決して不思議ではないかもしれない。
***


一方、この頃ジャカルタではグランジやパンク、エレクトロニカ等、多彩な流れも発生していました。 エレクトロニカのMedia Distorsi、ガレージパンクのThe Brandals、ビザールポップのSore,パンクのThe Adams、ゆるゆるジャムバンドのC'mons Lennon、パンカビリーのTeenage death star・・といったバンド達は今までのインドネシアには見ることが出来なかったユニークかつ洗練されたセンスを持ちあわせていました。
こうしたバンド群のなかでもとりわけ、後のシーンを見る上で極めて重要な存在と位置づけられるグループがこのころ出現しています。"LAIN"という名のこのバンドは元々はロスアンジェルス在住のインドネシア人たちによって結成されたバンドです。2002年に1st”Djakarta Goodbye"をリリースした彼らは,幾多のバンドとの交流や複数のサイド・プロジェクトの派生など、まさに「核」としての存在になっていったと考えてよいでしょう。

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    LAIN "Djakarta Goodbye" Surgery Records LO104
    多彩なバックグラウンドをもつメンバーの共通項はビートルズとか。丁寧な作りとセンスの良さが極めて印象的。全編英詞を用いている事もあり、インドネシアのバンドとして聴くと最初は違和感があるかもしれないが、陰鬱でメロディアスなグランジ・サウンドは一聴の価値あり。
    派生プロジェクトとしてはフューチャージャズ風のApe on the roof、ポップスからダークなポストロックまでこなすZeek & Popoなど。またギタリストIman FattahはSajama CutSoreのサポート、シンガーTikaのプロデュースを手掛けるなど極めて勢力的に活動。
    ちなみにこのIman Fattah、Godbless等で御馴染みの重鎮ベーシスト、Donny Fattahの息子。
    バンド名のLainは日本のサイコホラーアニメ「Serial Experimental Lain」から。とすると読みは「レイン」? (かと一瞬思いましたが、LAINという曲でしっかり"ライン"と言っております)

    ・・・・というようなお話はコチラのIman Fattahインタヴューで。

***




続く~。
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