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インドネシアのプログレ事情 改定ダイジェスト版 (前)

2013. . 21
えー、少々後ろ向き,というか久々にこのネタ。需要あるかわからんけど、約10年前のエントリ焼き直し。もとい某ライナーノ-ツ裏面改訂版か。



NHKFMのプログレ三昧「事件」を契機にDiscusの認知度が飛躍的に上がり、然程珍奇な存在ではなくなった?「インドネシアのプログレッシヴ・ロック」。プログレに限らず、その気になれば世界中の音源が容易に聴ける今、情報増え過ぎて、まとめるのも難しくなってんじゃないか、と要らぬお節介心が湧いてきまして。

で、最近のとかアップデート出来てないし今だったら音でトレースできるし、というわけで薀蓄垂れ流し。今時もっと詳しい人沢山いると思いますが、間違ってたら教えてね。


ちなみに大凡10年前の2003年6月、Discus 2nd "Tot Licht"が世界に先駆け日本で発売。その意味でも微妙に10周年エントリ。



以下緩めに、且つ「プログレ視点」から時系列で追っていきます。

(この項情報更新に伴い随時改稿の予定)



まずは70年代から80年代前半まで。
1.70年代~80年代前半の時代背景

60年代中期から、スカルノの失脚やコミュニスト弾圧等政治的な混乱が続くが、70年代に入り経済成長へ。1974年には反日暴動も発生するものの社会的には概ね安定。エンタメ面では、一時的にロック(しかもビートルズだけ)が敵視される スカルノ政権下、西洋楽、特にロックが禁止されるれ(1959-1967)Koes Bersaudaraが短期間投獄される事件も起きるが、ガールズバンドの活躍含め基本的にはオープンな状況然程厳しいものとは思えず。スハルト政権に移行してからはかなり自由度を増した。
欧米のメジャー級は雑誌「Aktuil」で紹介され、FMラジオ局「Prambors」がジャカルタで放送を開始したのもこの頃(1971)。Prambors FMはのちに作曲コンテストLCLRでインドネシアのポピュラー音楽に大きな影響を与えることに。ちなみにこのPrambors、初期にはオランダのエクセプションのジャケをそのまま引用したロゴを使用。今でもその面影はあり。

一方、メインストリームでの人気はビート歌謡とKoesplusに代表される緩めのGS系。スラバヤからは欧米一線級に匹敵するハードロックバンド「AKA」が登場するも、商業ベースでは「ロック」をアルバムに1~2曲収めるのが精いっぱい。そんな中、バンドゥンのSharkMove ("Ghede Chokras" 1973)Harry Roesli ("Philosophy Gang"1973)はフルロックアルバム/プロト・プログレ的な作品を出しているが、純プログレと呼べる作品が出てくるのは70年代後半から。この頃の混沌とした状況はカナダ発のコンピ盤"Those Shocking Shaking Days"で確認できる。

70年代後半からは一時学生運動が盛んになるも、社会的には資源大国としての安定期。エンタメは映画が主流。大衆音楽ではジャイポンガンやダンドゥットが浸透する一方、LCLRに端を発する洗練された都会派ポップス「ポップ・クレアティフ」が台頭、洋風ポップスの洗練度大幅底上げ。プログレ系の作品も大挙して登場。複数の証言を聞くと「プログレ」は「かっこいい音楽」と看做されてたとか。ホントかよ。




2.ミュージシャンと作品

Guruh Gipsy (S/T) 1976

ジャカルタ中心部、Pegansaan通りの実力派お坊ちゃんバンド"Gipsy"とスカルノ元大統領の息子グル・スカルノプトラが高い志でコラボ。オケや混声合唱、ガムランを交え、EL&P風・童謡風・民謡風・アシッドロック等が交叉、密林的湿度と重厚さ、混沌、カタルシスを併せ持つ。正統派プログレであると同時に、ロックに限定されない多様な音楽要素を内包。演奏面で弱さはあるが、やっぱり金字塔。




Barongs Band (S/T) 1976

俳優Slamet Rhardjoの弟であり大作"Cut Nya Dien"等の映画監督を経、現在は政治家としても活動中のEros Djarotのバンド。この人もGuruh Gipsy一派に近く、下記"Badai Pasti Berlalu"のOSTも担当。プログレど真ん中はこの1作だけだが、感傷的なメロとリズム隊のドタバタ加減はまるでイタリアン・プログレ。




Godbless "S/T(Huma di atas Bukit)" 1975

「新世代の本格派ロック・バンド」として、1973年ごろから知名度高。度重なるメンバー交代でアルバム作製は1975年。「巨大アフロ」「Firth of Fifth引用」などで日本でも古くから著名。只このデビューアルバムは純プログレを期待すると地味。オールドスクールなアートロックとして聞けばスルメ。オランダ帰りのヴォーカリストAchmad Albarを中心に、優れたライブパフォーマンスでデビュー当時の名声は圧倒的。1975年のディープパープルのジャカルタ公演でも前座として出演。名実ともインドネシアを代表するバンドの一つ。




おまけ。DPジャカルタ公演時の映像。3:37ごろに食事する当時のアフマド・アルバル、後にタラントゥーラで来日する妹のカメリア・マリクとレイノルド・パンガベアンが伺える。





Godbless "Cermin" 1980

キーボードにGuruh GipsyのAbadi Soesmanが加わった2作目。Kansas、Yes、Rainbow等の継ぎ接ぎ感は否定できないが、格段に向上した演奏力と構成の良さで、独立した純プログレ作品として十分高水準。プログレバンドとしてのGodbelssはここまでだが、これが最高。なぜ再発されないのか。





Harry Roesli "Titik Api" 1976

湿度むんむんの怪作。8ビートにけたたましいガムラン、とてもお上品とは言えないがストレートすぎて痛快。で、ガムランロックの間にドゥーワップなファンクが所々はいっててザッパ的との評価も少々。リリースはAktuil出版から。こんな変な作品出せたのは恐らくインディー故。Harry Roesliはこの時期、これ以外にもKen Arokオペラ、Kharisma Group、Gadis Plastik他、高水準且つ妙な作品を多数産出。




Giant Step "Giant On The Move!"1976

秀作HRの1stから薬中メンバーが脱退(→Superkid結成)、Triawan"シェリナ・パパ"Munaf含むメンバー一新のへヴィープログレ。ユーライアヒープのような気もするが、やっぱりムゼオ・ローゼンバッハとか一時のジガンティとか。メロトロン無いけど。ほぼ英詩なのに雰囲気が英国系とどうにも異なるのは南の音だから?この時期のBenny SoebardjaはGiant Step以外にもLaizard名義や複数のソロアルバムを出している。





Giant Step "Kukuh Nan Teguh"1977

前作の力強さから複雑かつ繊細に。線が細くなり地味さは否めないがスルメ。




Giant Step "Persada Tercinta"1978

完全にキーボード主体となり、若干ジャズロック風味もある。派手さは無いがバランスは良好。始めて聞いたときはソフトになったコルテ・ディ・ミラコリだったか。





Giant Step "Tinombala"1979"、Volume III"1980

軟化しているが、ソフトでクラシカルなキーボードロック。サイケに回帰してる印象も少々。II,Volume IIIというのはIrama Taraレーベルでの二、三作目の意味で、バンドとしての3作目ではない。





Yockie Soeryoprayogo "Musik saya adalah saya" 1976

日本では"Godblessのキーボード奏者"として知られるが、独立したミュージシャンとして十分大きな存在。通称「インドネシアのリック・ウェイクマン」の面目躍如、シアトカルな一大シンフォニック絵巻。GURUH GIPSYに匹敵する圧倒的な音像。





Yockie Soeryoprayogo "Jurang Pemisah" 1977

Godblessの1stと共に古くから知られる作品。楽曲は勿論、レコーディングの質の高さからも欧米一線級に遜色なく聴ける。当時の共作パートナーであったChrisyeをメインゲストに据え、クラシカルなプログレ風味が前面に出ているが、ポップスとしての洗練度も高い






Abbhama "Alam Raya" 1978

Guruh Gipsy、Giant Stepの2ndと並ぶインドネシア・プログレの金字塔。Iwan Madjid率いるシンフォ・バンド、美メロ系クラシカルロックの洪水。仮に70年代のイタロとして発掘されてたら鼻血級扱いされてたと思うんですけど、思い入れ過剰?





Rara Ragadi "ST" 1979

現Simak DialogのRiza Arshadが高校生の頃、兄のIwan、アレンジャー・プロデューサとして成功し、Cockpitにも加わるRaidy Noor、ジャズドラマーとして大成するCendy Luntunganらと組んでいたバンド。他のシンフォ系とは一線を画す個性。





Contrapunk "Putri Mohon Diri" 1976

クラシックをバックグラウンドに持つ作曲家Adji Bandiが自らのバンドにYockieや大御所歌手のTitiek Puspa、Grace Simonらをゲストに迎えて製作。コンセプトは"バッハ・ロック"、と言いつつトラッド色もある個性派。半端なサウンドプロダクションで損をしているが、音楽的アイデアは冴えている。因みにAdji Bandi、翌1977年に東京で開催された世界歌謡祭で入賞の経歴を持つ。








--非プログレ・近似ジャンル--



Chrisye "Sabda Alam" 1978

Guruh Gipsyではメインヴォーカルでなかったが、そのソフトな声が注目されソロ歌手デビュー。大ヒット"Lilin Lilin Kecil"で一躍インドネシアの"ニューミュージック"=ポップクレアティフの旗手に。洗練されたポップインドネシアの代表作でもあり、当時「かっけー音楽」であったプログレもばっちり収録。Yockieとの共作Citra Hitamは所謂「テラ・シンフォ」。





Chrisye & Berlian Hutauruk "Badai Pasti Berlalu" 1977

Eros Djarot、Nasution兄弟、Yockieらによるメロドラマ映画のサントラ。ソープオペラのOP風もあるが、主体はカノン進行のシンフォニックバラード。ハモンド、ソリーナ、メロトロンが嫌というほど味わえる。ただマニアックな視点のみならず、ポップ・インドネシアのオールタイムベスト。




Keenan Nasution "di Batas angan angan"1978

Guruh Gipsyの実質リーダー且つドラマーでもあるKeenanのソロ。ソフトロックの秀作でありシンフォ色も濃厚。共演者で弟のDebby Nasutionによるスリリングなキーボードプログレ含む。本人は80年代にはポップシンガーとして大成功。





Harry Sabar "Lentera"

インドネシアでもメロトロンを使用した作品は複数あって、これもその一つ。非常にメローな抒情派プログポップ。Harry SabarはGuruh Gipsy一派に近いミュージシャンで80年代中ごろまでソロアルバムを、90年代にはGank Pegansaanに参加。





Prambors Band (Various)1978~1986

メロトロンやシンセを効果的に使ったプログレ寄りポップ。Prambors FMのお抱えバンドで1977年~1986年にかけて4枚の作品を発表。ソフトタッチながら印象的な曲多数。メンバーはGong2000やPegansaan一派とも連なる面々。





WOW "Produk Hijau" 1983

メインストリームのポップスターFariz RMとAbbhamaのIwan Majidが組んだトリオバンド。Fariz RMはドラムを担当しててまるで逆フィルコリンズ。びっくりするようなタイトなプログレチューン収録。





LCLR 1977~

Prambors FM主催で1977年から始まったインドネシア版ポプコン。同国のポップスのスタンダードを覆したコンテスト。最近のエントリーで紹介したように1980年代前半まではアレンジャーやプレイヤーに当時のそっち系が係わっていて、そっちな曲も結構ある。






Maryono & His Boys "Gambang Suling" 1975?

Maryono、Embong Raharjo、Bubi Chen等ジャズ界の重鎮によるエレクトリック・ジャズ。民謡メロの引用や変拍子等、ジャズロックとしても聴ける秀作。




Kelompk Kampungan "Mencari Tuhan" 1980

Bram Makahekum率いるアシッドフォーク・グループの唯一作。Sawung Jabo、InisisriらWS Rendraのベンケルシアターに連なる面々が参加。深く沈みこんだ瞑想サウンド。スカルノ大統領の演説をそのまま用いているためか当時は即発禁の噂も。




Gombloh "Lemon Tree Anno69" 1979

若干おまけになるがメロトロン利用で念の為。早世の社会派SSW、Gomblohもそのアルバムで派手なメロトロンを使用。聴き様によってはかなりこっちより。この時代結構普通の楽器だったんでしょうね。








**AKTUIL Magazine**

ちなみに上記で何度か言及している「Aktuil」は1967年映画評論誌として創刊、後に当時のポップカルチャーを先導する雑誌となった。表紙を飾る当時のモデルの写真は中々ヒップ、気になる方は下記から。

http://bit.ly/14ewAz5

因みに前述のDeep Purpleジャカルタ公演(1975年)を主催したのもAktuil。これでこさえた莫大な借金が廃刊の原因とも。




後半に続く

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