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DARA PUSPITA "1966-1968"

2010. . 03

DARA PUSPITA
"1966-1968"
Sublime Frequencies SF054



60年代のインドネシアのビートポップ/グループサウンズはコレクターの間では既にかなり有名になっており、それなりのお金を出せばなんとか聴く事は出来ました。しかし実物が希少であるが故にコレクターズ・アイテムという位置づけは変わらず、音楽性がフェアに評価されていたかどうかは疑問が残ります。
その意味で今回米国Sublime FrequenciesからKoes Bersaudara、Koesplus、Dara Puspitaという当時を代表するグループの音源がCDとしてリリースされた事は非常に大きな事だと思います。単なる「東南アジアの珍品」ではなく、音楽そのものが評価され、西欧世界と同様に早くからロック・ミュージックが根付いていた事実が妥当な形で提示されたわけですから(*という書き方は自分的にどうかと思うので、書き直すかも)
独立後、西欧のポップカルチャーを(大衆レベルでは兎も角)極普通に受け入れてきたインドネシアですが、1960年代半ば、急激に共産主義に接近したスカルノ大統領は、ビートルズを「あんな"ガ・ギ・ゴ"とか言ってるのけしからん」と評し、一時的にロックや洋楽は弾圧されます。が、間もなく起こった政変により、再びポップカルチャーの花形に返り咲きます。
そんな時代に登場したDara Puspitaはインドネシア最初のガールズバンドとして、Koes Bersaudaraと共に当時のビッグネームの一角といえる存在でした。1964年にスラバヤで14人所帯の大編成バンドとしてスタートし、後にAriesta Birawaを経てクロンチョン歌手として大成するMus Mulyadiの指導を受けたりしながら、4人編成のガールズバンドに収束。Jopie Itemと活動していた弱冠15歳のベーシストTitiek Hamzahを加えたバンドは、スラバヤ公演で知り合ったKoes Bersaudaraの後を追いジャカルタに進出、激しいステージアクションと演奏でたちまち人気者になります。以後スカルノの弾圧を受けたりしながらもタイ、マレーシア、シンガポール、更にはヨーロッパにまで進出しました。残念ながらヨーロッパでの活動は成功とは言い難かったようですが本国では人気を維持。しかしヨーロッパツアー中に唯一作曲能力のあったTitiek Hamzahが脱退意思を表明、帰国後幾つかの契約ステージをこなし1972年に解散しました。
Titiek Hamzahはその後もミュージシャン・作曲家として活躍し、Dara Puspitaも一時再編されますが他のメンバーは基本的には引退しています。

さてCD、パッケージはデジパックで3面開き。4枚のLPから26曲が選曲されたベスト盤となっており、豊富な写真と20ページに及ぶブクレットは資料としても非常に充実しています。CDは少し再生に難がある箇所もありますが、概ね良好、当時のいかにもなGSサウンドを視覚・聴覚の両方から楽しむことが出来る逸品です。



Sublime Frequencies 該当ページ
http://bit.ly/9kQVrm


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